はじめは、誰も日本人ではない。私がそう考えるに至った理由。

 「ナニ人なの?」ってきかれたら、「日本人だよ」って笑う。それから、「ハーフだけどね」と付け加える。

 この言い方になるまで、いろいろあったなぁとしみじみ思う。カタカナに憧れて「ハーフだよ!」と言ってたこともあったし、「えーと、日本人……かな?」と首を傾げて「なにそれ笑」と笑われたこともあった。「さぁ、わかんないね。とりあえず日本語は話せるよ」だと聞く方も納得しやすいみたいだったからよく使ってたっけ。一度、「どっちだと思う?」と質問で返したらめちゃくちゃ動揺されたので、これはいじわるだったと反省したものだ。

 こんな風にいろいろな答え方をしたのは、なんと答えたらいいのかが分からなかったからだ。日本以外に住んだことはないので、出身地という意味なら日本人だと答えればいいだろう。しかし、ルーツを聞いているのなら日本と中国になる。それに、どうやらハーフというのは日本人とも中国人とも違うものらしい。だったら「ハーフだ」と答えればいいのかもしれないけど、ハーフ人ではないのだし、それがナニ人かという質問の答えとして正しいのだろうか?・・・そんな風に迷っていた。

 問いが立てられなければ答えはそもそも存在しない。迷い始めたのは、「ナニ人なの?」と頻繁に聞かれる大学生になってからだ。実のところ、子供のころは日本と中国を区別して考えなかった。何がどこに属するかなどという分類は、大量の知識を蓄え、それを整理する段階になって初めて意味を持つものだ。目に入るものがすべてだった子供時代、私は何も知らなかった。

 お父さんが日本人だということも。

 お母さんが中国人だということも。

 私がハーフだということも。

 ここが日本だということさえも。

 あったのは、既知と未知の区別だけだった。

 あらゆる人間の知識は、みな後天的に獲得したものである。日本や中国、その他諸外国といった国家概念もまた、人類によって創られ、人類によって習得される知識の範疇にある。ならば、「自分は日本人である」という個人の意識も同様に、後天的な学習の結果であるに過ぎない。

 狼に育てられた子供が狼のようにしか行動できなかったという例に目を向ければ、人間は生まれた当初は「人」ですらなく、周囲からの学習によって「人」になると言ってよい。「人」になった延長線として、私は後天的に「日本人」となった、と考えている。なにもこれは、私がハーフだからというわけではない。

 あなたが最初に自分のことを日本人だと考え、それを他人に表明したのはいつだろうか?1歳か、5歳か、10歳か、20歳か。あるいは今でさえ、「ナニ人か?」と問われて戸惑いを覚えはしないだろうか。

 この文章では、私が「日本人」になった過程をお話ししたい。「日本人とはなんなのか」に悩む人の助けになれば嬉しい。

■「チューゴク」と「中国」が結びつくまで

 子供のころ、私はお母さんが中国人だということに気がついていなかった。隠されていたわけではない。昔から「パパとママは中国で出会ったんだよ」と言われてはいた。しかし、漢字もニュースも読めない子供だった私は、「ふーん、チューゴクってどこかな」としか思っていなかった。「夏休みに中国に行くよー」と言われて連れていかれたのがおじいちゃんおばあちゃんの家だったので、ここがチューゴクかぁと一人でふむふむしていた。なぜかそこではみんなと言葉が通じなかったのだけれど、「やっぱり大人の会話は難しくて分かんないなぁ」とのんきに中華料理にぱくついていた。日本語ですら覚えたての私は、分からない言葉はみんな大人語だと思っていたのだ。あまり同じ年代の子供には会わなかったし、子供の遊びに言葉は必要ではなかった。

 「みんななんて言ってるの?」と聞けば、お母さんはわかる言葉で教えてくれた。日本に帰ったら(実は外国に行っていたとは気づいていなかったのだが)相変わらず普通に話が通じたので、やっぱりあのときはみんなで難しい話でもしてたんだな、大きくなったら私にも分かるかなとわくわくしていたものだ。当然、自動的にわかるようになるはずもなく、「こんなに苦労するとは聞いてない・・・・」と恨み言を言いながら勉強するハメになるのだが、それはまた別の話である。

 いくら鈍感とはいえ、小学校も終わりかけになるとそろそろなんか違うなと思い始める。たくさん本を読んで(『パスワードはひ・み・つ』とか『デルトラ』とかが流行っていた)日本語が上手くなったのに、一向にお母さんがおばあちゃんと電話している内容がわからない。

 「お母さんの言うチューゴクって、もしかしたら歴史で習ったあの中国かもしれないぞ」そんなことを考えていたある日、友達の家に遊びに行ってご飯をごちそうになった。四角い食卓だった。一人分の小鉢が出てきた。

「あれ?」と思った。

ちびまる子ちゃんじゃん、と。

普通、おかずは丸いテーブルに載ってて、それを回して食べたいものを取るんじゃないの?

まぁ「よそはよそ、うちはうち」って言うからな、とそのときは気にしなかった。

 しばらくして、学校でCMの真似が流行った。子供というのは意味が分からなくても音だけで覚えてしまうものだ。(「あるぷすいちまんじゃく」なんていまだに意味がわからない。)知らない間にみんなが同じことを口ずさむようになった。

「「イーアルサンスーうーろんちゃ!」」

「「イーアルサンスーうーろんちゃ!!」

 ・・あれ??

 聞きおぼえがある。それはもうすごくある。

 お母さんが特別に教えてくれた大人語がそんな感じだった。

 でも、「いー、ある、さん、すー、うー」の後は「りう、ちー、ぱー、じう、しゅう」じゃなかったっけ?

お父さんとお母さんは、あっさり「それは中国語だよ」と言った。

 そこで、わからない言葉は中国語だったのだと知った。

 自分や友達が話している言葉は日本語というのだと知った。

 外国語は英語だけじゃないのだと知った。

 ここは日本で、チューゴクはやっぱり地球儀にある中国という国なのだと知った。

 これは衝撃の発見だった。例えるならその辺でよく見る鳥を図鑑で調べたらちゃんと他の鳥と同じように名前が付いていてびっくり、おまけに絶滅危惧種だったと知って二度びっくりしたような衝撃だった。外国というものは、もっと手の届かないところにあるから外国なのだと思っていたのに。

 何度も言われていたにも関わらず、自分の頭の中のチューゴクと知識としての中国が結びついていなかった。「チューゴクのハエはちゅごくはえ~」などとアホなことを言っている暇があったら気づけ、自分。

このときが、自分がこれまで溜め込んだ知識を分類し始めた瞬間だった。

■ハーフに悩まなかった思春期

 かくして、晴れて自分が中国人と日本人の子供だと理解した私(小学校高学年)は、同時に「あれ、じゃあ私ってハーフじゃん」とも気が付き、そのまま多感な思春期に突入することになった。

 しかし、いわゆるアイデンティティなるものに悩んだことは多くない。子供にとって、「アイデンティティ」なんて吹き出しそうなくらいに可笑しな言葉だったからだ。特に後ろの方が実にまぬけな響きだ。なにが「ティティ」だ。いくら真面目な顔をして悩もうとしても、数秒後にはキティちゃんやテディベアが頭にちらついて全く集中できなくなる。はいはい、ティティてぃてぃ(笑)多感でもなんでもないお気楽な思春期であった。

 (ちなみに、今でも日本人がアイデンティティに馴染みが薄いのは名称のせいであると思っている。キーボードでも打ちにくいし、なにより略せないからだ。8文字のカタカナは日本語の美的感覚から見て不合格だろう。俳句ができない)

 アイデンティティは考えなかったが、ハーフと日本人は別のカテゴリなのだな、ということは感じていた。テレビで日本人の中に混じるハーフタレントを見たときは、哺乳類図鑑でコウモリを見つけたときのような不思議な感じがしたものだ。

 しかし、それを自分に当てはめて周囲から疎外感を感じたことはあまりない。その理由は2つある。1つは、自分を客観視しなかったこと。自分の姿は見えないということをこれ幸いと、集団の中の自分が客観的にどう見えるかということにあえて意識を向けなかった。写真を撮られるのもなるべく避け、撮られてしまった自分の姿はほとんど見ようとしなかった。こうして、私は自分がハーフであると知っていたものの、ハーフだからみんなと違うと線を引いてしまうことがなかった。

 もう1つの理由は、私は「日本人」とは会わなかったから、ということだ。インターナショナルスクールに通っていたわけではない。むしろ、田舎の学校だったので国際色豊かとは真逆に位置していた。それでも、私が会っていたのは「日本人」ではなかった。

■語られる「日本人」

 なにをバカな、と思われるだろう。客観的に見れば、たとえば全校生徒の名簿に親の出身地を書く欄があるとすれば、九割九分九厘の名前の横には[日本人×日本人]と記されていたに違いない(国籍ではなく出身地としたのは、母も私も日本国籍だからだ)。しかし実際には、そんなデータがゲームよろしく眼前に表示されるわけはない。ましてや、私は自己の安定のために客観視の放棄を選んでいた。そんな完全主観主義者の私から見て、周りの人間はどう考えても日本人ではなかった。

 第一、誰も自分のことを日本人だとは言わなかった。学期初めに何度も自己紹介があったが、「ぼくは日本人です」と言った人は一人もいなかった。

 そして、みんな「日本人ってほんと〇〇だよね」「こういうところは日本人のイイ/ダメなところだよね」と、「日本人」について客観的に言うのだ。この「日本人」の部分が「私たち」に置き換わることはなかったし、「ぼくたち日本人は」と繋げて話されることもほとんどなく、あったとしてもそこで話される「日本人」の内容は、話す主体である「ぼく」とはどこか乖離があるのだった。

 このようなことの積み重ねから、「私」と「日本人」は同値ではなく、「私」から客観的に語られ、記述される存在であることを知った。「あの頃の日本人は」「いまの日本人は」「日本人というものは」。テレビでもネットでも、同じ年代に限らず、多くの人が思い思いの日本人論を唱えていた。

 だから、私は「日本人」とは会わなかったのだ。誰もが日本人をはっきりとは理解せず、その輪郭を捉えようと躍起になっていたのだから。私もそれに混じって、一緒になって「日本人」を語っていた。日本人概念を帰納しようとするおこないに於いて、私はまわりの人と同質だった。  

 誰も、最初から日本人ではないのだ。私が子供のころ、チューゴクを中国だと認識していなかったように。自分の話している言葉が日本語と分類されるのだと気付いていなかったように。知識や概念は、生まれたときから備わっているものではない。自分が日本人である、ということもまた後天的に獲得しなければいけないものだ。そしてその獲得には、対象の理解が必要である。

 そのために、「私」や「私たち」は「日本人」を客体化し、観察の対象として対面する。はじめのうちは、自分とはほど遠い不明瞭な概念に見えるが、何度も観察と表現をくり返すうちに、その輪郭が明らかになっていく。そうすると、徐々に受け入れることができる。子供のときに遠い存在として語っていた「大人」を、徐々に受け入れていくように。

 

■「日本人」になる作業

 なんだか餅つきのようなものだな、と思う。「私は日本人らしいんだけど、日本人ってなんだっけ?」と疑問に思った人が参加者だ。ある人が「自分は日本人とはこういうものだと思う」と餅をつく。すると他の人が「日本人にはこんな面もあるぞ」と餅をつく。大勢が同じことをする。「日本人は謙虚だ」「完璧主義も日本人らしさの一つだ」ぺったんぺったん。「日本人は外国人と比べて綺麗好きだ」「働きすぎるのは日本人の悪いところだ」ぺったんぺったん。・・・こうして、もっちもちの「日本人餅」ができあがる。これを、ゆっくり飲み込むことで、「私」と「日本人」が繋がっていく。喉に詰まりそうで嫌いな人もいるが、腹持ちがいいので外国と対峙するときのお供に最適だ。食べにくければ、きなこや砂糖醤油をつけたり海苔で巻いたりしてもいい。

 私が自分を日本人だと思うのは、これに参加したからだ。みんなと同じように日本人餅をつき、できあがったものに満足して食べた。だから、私は自分が日本人であることに疑いがない。人が作ったものを横取りしたのではなく、自分で「日本人」について考え、汗水たらして餅をつき、みんなと同じようにそれを飲み込み、「日本人になった」のだから。このことは誰にも否定できない。

 私がそうであったように、このことに血筋や生まれは関係ない。来日20年の人に「もうすっかり日本人だね」と声をかけることがあるだろう。これは、その人が自分で餅をつき、それを食べ、日本人らしさを自分の一部にしたからだ。一方、いつまで経っても日本人らしくない人もいる(たとえ日本生まれであっても)。これは餅つきに参加せず、自分の国の餅や他のお菓子ばかり食べている人だ。もちろん、それは本人の好みなので、無理やり参加させないほうがいい。

■「日本人餅」をよりおいしくするために

 「ナニ人なの?」という質問にはやはり〇〇人と答えたほうがいいと思う。私は日本で暮らしてきたので、日本人のイメージが一番しっかりしている。だから、この質問には日本人だと答える。ただ、中国人のイメージも他の人よりはあるので、「ハーフだけど」と一言添えるようにしている。

 日中ハーフである、ということは、日本人餅と中国人餅の餅つき会場が家の近くにあることなのかな、と思う。はじめは、最初に目に入った日本人餅をつくのに夢中になっていたが、そろそろ慣れてきたので、最近では中国人餅もつき始めている。そろそろまとまってきたのでおいしそうに見えるのだが、やっぱりまだもう少しこねたほうがいいかなとも考えているところである。

 しかし、もし遠くの方まで足を伸ばせば、また違った餅つき会場があるだろう。そこでついた餅はどんな味がするのか、想像するだけで楽しい。他の味も食べたいのに近くに日本人餅しかないという人は、遠くまでお出かけしてみてほしい。きっといろんな餅つき会場があるだろう。参加は自由だ。配られるものを食べるのもいいが、時間があればぜひ餅つき自体に参加することをおすすめする。きっと、新鮮で楽しい。別の味を経験すれば、日本人餅のおいしさに懐かしさがプラスされ、もっと味わい深いものになるだろう。


【追記】

 ハーフ、と特に注記もなく使用したが、これについては賛否がある。ここで私自身の立場を表明しておくとともに、ハーフについて考える上で役立つ書籍とサイトを紹介したい。

○名称について

 ハーフは英語のhalfに由来する言葉だが、半分は日本人であることが前提とされているため、”hafu”として英語に逆輸入されている。

 以前は「混血」や「合いの子」に変わる新しい言葉として肯定的に受け止められてきたが、近年(英語が浸透してきたためか)「半分」という点がネガティブに捉えられ始めた。そのことを受けて、どちらの国も合わせ持つという意味の「ダブル」という呼称が、主に本人でなく親によって好まれるようになり、英語で一般的な”mixed”を音訳した「ミックス」とともに巷に広まりつつある。またこの他に、ハワイで「半分」を意味する”hapa”を用いる人もいる。

 私が子供のころは「ハーフ」の名称が(主にTVによって)肯定的に受け止められていた時代だったので、私自身はこの言葉に特に嫌な思いをしない。「ハーフだね」と言われれば、「うん、そうだよ」と素直に答える。ダブルやミックスは、まだ直接言われたことはないが、書籍やネットで書かれているのを見ると微妙な気持ちになる。ダブルは「アイスクリームかな?」と思うし、ミックスは「犬かジュースかな?」と思う。ちなみに混血や雑種と悪気なく言う人には「この人、言語センス皆無だな」と心配になる。

 名称を気にするのは本人よりも、むしろそれを分類したい外部だと思う。本文でも述べたように、言葉を覚える段階では深い意味や分類は考えていない。自分は「ハーフ」であるということに嫌な思いはしていなかったのに、いきなり「よくないので変えましょう」と言われると、今まで自分が納得してきたものはなんだったのか、と足元が崩れる気がして気持ちが悪い。言葉が時代とともに変化するのはしかたないので諦めているが、これから「ダブル」と覚える子供たちは「ハーフ」にネガティブなイメージを持つのだと思うと、少し寂しい。これで新しい言葉が魅力的ならば構わないが、ダブルやミックスはそこまで長生きできそうな上手い言葉にも見えないし、単に耳新しさを求めて差別を助長している懸念が拭えない。きっと10年後にはまた別の言い方になるのだろう。次は何になればいいのだろうか。特に、中身が変わるわけではないのだけど。

○ハーフについてもっと知りたい人へ

 ハーフと言っても、アジア系のハーフは肩身の狭い思いをすることがある。日本人×白人をイメージする人が多いからだ。見た目で分かりやすいのでそうなるのだろう。そこで、いろんなハーフがいることが分かるサイトや本を紹介したい。ハーフでいることに悩んでいる人の助けにもなると思う。

Hafu2Hafu

 ハーフであるカメラマンが日本×世界各国のハーフを撮影する。いろんなハーフがいるという当たり前のことを再確認できるし、一人一問書いている「他のハーフに尋ねたいこと」がおもしろい。

Being Biracial: Where Our Secret Worlds Collide (洋書)

 日本のハーフだけでなく、世界でも”ハーフ”は葛藤を抱えているということが分かるエッセイ集。私はこの本で初めて”biracial”や”multi-cultural”という表現を知り、すとんと腑に落ちた。kindleにあるのでぜひ読んでみてほしい。自分の葛藤を言葉にするのに役立つと思う。

SHIORI CLARK

様々なルーツやバックグラウンドの交差点に立つ人たちは、自分を取り巻く地域の風景や社会のありようを、どう感じているのでしょうか。当事者本人が綴った思いを、紹介していきます。

投稿もお待ちしております。さまざまなルーツの交差点に立つ、皆様のライフストーリーを教えて下さい。掲載の場合はご連絡を差し上げます。(英語、邦訳つきの他言語での寄稿も大歓迎です!)

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Source: ハフィントンポスト