ハーフだったからこそ、今の自分になれた。逃げるように日本を出た私が、声を上げるまで

子供の頃から最近に至るまで、自分が何人なのか、居場所はどこなのか、ずっと探していた。

日本でも海外でも、いつも宙ぶらりんの場所にいた。どこかに属したくて、自分の故郷はここだと胸を張って言いたくて、心も体もうろうろして、定まらない毎日が私にとっての日常だった。

日本は居心地が悪かった。

田舎で育った私は、学校でも、街中でも、人にじろじろ見られた。私は自分を「日本人」だと思っていたけれど、まわりはそう思っていなかった。

自分の生まれ育った国なのに、外国で育てられたような感覚。
日本人のお友達と同じように育てられて、地元の学校に行って、同じ物を食べて、日本語を話しても、私は「日本人」の女の子にはなれなかった。

7歳の誕生日パーティーで

きつい言葉をいう人もいた。「その顔で日本語話すな、気持ち悪い」

なのに私は不思議と傷つかなかった。自分が変だから仕方ないんだと妙に納得していた。

家に帰れば、温かい家族が出迎えてくれた。日本人の母親とイギリス人の父親は、いつでも私にとって良き理解者だった。高校では、大好きな親友に出会った。卒業する頃には、自分には縁がないと思っていた日本人の彼もできた。おしゃれをしたりデートに行ったりして、毎日笑って過ごした。

あの時の私は、人に受け入れられることで自分という存在を肯定していたような気がする。友達ができても、支えてくれる人がいても、拭いきれない疎外感から、いつも寂しかった。

■スペイン留学が転機に

20歳の時のスペイン留学が、私にとっての転機になった。
多国籍な環境の中で、私は誰とも違わなかった。初対面の人に「ハーフ?日本人じゃないよね?日本語うまいね。」と言われることはなかった。ハーフや外国人の女の子としてではなく、一人の人間として接してくれた。

両親が日本人の人にとっては、日本がそういう場所だから、そんなこと当たり前だったかもしれない。でも私にとっては、忘れられないほどの特別な体験だった。

集団に馴染めることがこんなにも嬉しいことだなんて、ここに来るまで全く知らなかった。
それに気がついた瞬間、私は幸せを感じると同時に強いショックを受けた。こんな居心地の良い場所がこの世にあるんだって。
こんな当たり前の幸せを、日本人の子達は子供の時から知ってたんだって。

日本人にもなれない、イギリス人でもない、自分は何者なんだろうと分からなくなった。その時の私は自分のアイデンティティを完全に無くしたように感じた。

そんな頃に作ったのがハーフ・ミックスの会「ブレンディズ」だ。
スペインから日本という現実に戻った私は、とにかく仲間に出会いたくて、自分の居場所を作りだそうと思い立った。インドのハーフの幼なじみと一緒に、ハーフの知り合いを少しずつ集めた。

それから6年間、毎月のように集まっている。当初は、ハーフであることの悩みを共有できたらと思ったけど、悩みを話さなくても、ただの友達として距離感なく接してくれる空気が、案外心地よかった。今ではただ会うとホッとする、私にとっては家族のような存在だ。

萌さん(左)と、ブレンディズをともに立ち上げた幼なじみ

その後、就職して貯めたお金で、長年の夢だったピースボートで地球一周の旅に出た。船内の企画でハーフの悩みを話してみないかと誘われて、大勢の前で話した。良いリアクションも、悪い反応も返ってきた。でもこの講演を通して、人に伝えることの難しさを知った。

帰国後、自分の「ハーフ問題」と向き合うことに疲れてしまって、逃げるようにオーストラリアに行った。スペインの時の思い出もあって、とにかく日本を出て行けば幸せになれると思っていた。

でも行ってすぐに気がついた。どこにいたって心の隙間は埋まらない。自分自身と社会の意識が変わらなければ、問題は解決されない。

悩んだ末に、日本に戻って、自分にできることをしようと決めた。

地元に戻った私は、中学時代の先生とのご縁があり、母校の小学校でハーフとして生きてきた体験を話す機会に恵まれた。

「外国人を外国人として区別せず、いろんな日本人が増えてきていることを知ろう。目の前の人が何人かではなく、どんな性格と考えを持った、どんな人間なのかに注目しよう。」

子供達の反応は想像していたよりも純粋だった。私の伝えたかったメッセージが、なんの違和感もなく届いたような、手応えと感動があった。

ハーフの悩みはまだ特殊で、あまり表に出てこないのが現状だ。「ハーフはかわいい」とか、「英語が話せるだろう」とか、表面のイメージが先行して、その裏にある疎外感や、実際に起きてる問題にはなかなか目を向けられていない。

■大切な国で、あえて声を上げていく

心に秘めておきたかった想いを曝け出すのは、勇気がいる。
平気なふりをして、何でもない顔をして生きていったっていいのかもしれない。でも誰かが話さないと、人には何も伝わらない。自分の体験を話すことで、生きづらさを感じるハーフが減ってくれたら。何かの役にたつことで、自分の経験は無駄じゃなかったと思える。

日本には、大好きな家族も、大好きな友達も、温かい人もたくさんいて、いろいろあったけど、やっぱり私にとっては大切な国だから。だからあえて、声を上げていくことを選んだ。

イギリスに住む祖母と

ハーフに生まれて良かった理由。色んな体験をして、楽しい気持ちも悲しい気持ちも味わって、人生が豊かになったということ。人に寛容になれること。人の苦しみを想像するクセがついたこと。ハーフに限らないマイノリティの人達と繋がること。多様な社会は楽しくて、ワクワクするものなんだと知ったこと。

ハーフだったからこそ、今の自分になれた。全てを受け止めて、この環境や経験に感謝して生きている。今まで蓋をしてきた想いが、すべて良いエネルギーに変わっていく。毎日がとても楽しくて幸せだ。

私は、日本人だし、イギリス人だし、ハーフだ。どれか一つは選べないし、どれにでもなれる。この先もずっと、このアイデンティティで生きていく。

自分と他人の違いを受け入れられる、多様な社会を目指して。

Shiori Clark

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Source: ハフィントンポスト