「エスプリ」でしか描けない北朝鮮の「顔」 ギィ・ドゥリール 檜垣嗣子訳『マンガ平壌 あるアニメーターの北朝鮮出張記』–高井浩章

「人生は、クローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

――チャップリン

 ギィ・ドゥリールの『マンガ平壌 あるアニメーターの北朝鮮出張記』は独裁国家・北朝鮮の日常の悲喜劇を活写するコミックルポルタージュの傑作だ。

 フランス語が公用語のカナダ・ケベック州出身の作者は、20歳ごろからアニメーターとしてカナダ、ドイツ、フランス、中国・深圳などを渡り歩き、現在は漫画家として活躍している。本作は、フランスの放送局から派遣され、2001年5月から2カ月間を平壌で過ごした体験をマンガ化したもの。原著が2003年、邦訳は2006年の刊行だ。

 滞在は1994年の「米朝枠組み合意」から、それが実質破綻する2003年まで、北朝鮮が「外」へわずかに窓を開いた時期にあたる。外貨稼ぎのアニメの下請けの監督役が作者の役回りだった。

 少々古い本なので情報の新鮮さは望めない。当時の指導者は金正日。作中には「ここの人たちは彼らの指導者に子どもがいることさえ知らない」というセリフが何気なく出てくる。

 古さを補って余りある美点は「レンズの構え」にある。チャップリンが言うところの悲劇をとらえる「アップ」と喜劇を描く「引き」のバランスが絶妙なのだ。

「マンガ以上にマンガ的な国」

 私は北朝鮮問題の専門家ではないが、長年、「独裁国家での人生とはどんなものだろう」という関心をもってきた。本やニュース、ネットの「生の声」などを通じて情報にも触れ、経済制裁による人道危機を警告する国連リポートも斜め読みはしている。

 だが、そうした情報だけでは、何かしっくりこないものが残る。

 たとえば潜入ルポの類いは「力み」が目立ち、脱北者の体験談や人道危機の調査、経済破綻下で核開発を続ける瀬戸際戦略の地政学的な分析も、北朝鮮の人々の「顔」を浮かび上がらせてはくれない。

 乱暴に言えば、北朝鮮とは、真っ正面から正攻法でとらえると、何かが抜け落ちてしまうのではないか。

 そもそも、この21世紀にあって、国境をほぼ完全に閉ざし、世襲3代目の独裁者が自らの兄を神経兵器で暗殺し、戦略的とは思えないミサイル発射をポンポンと繰り返し、それを講談調の国営放送のアナウンサーが華々しく伝える――などというのは、「あり得ないあり様」だ。最高指導者のあの髪型を含めて、北朝鮮は、マンガ家であっても「もうちょっと現実味のある設定にしよう」と躊躇するほど、「マンガ以上にマンガ的な国」なのだ。

 無論、安全保障上の脅威や人道危機、何より拉致問題を考えれば、現実は笑いごとではない。それでも、6月の米朝首脳会談で金正恩とドナルド・トランプが向き合うさまは、「変な髪型コンテスト・世界の指導者編」という様相で、私が職場でそう漏らすと、一緒に中継を見ていた同僚数人と声をあげて笑ってしまったものだ。

人々の「顔」を描く

『マンガ平壌』は、この奇異な独裁国家での体験を、淡々とした絵とテキストで描く。そこには(出身は厳密にはカナダだが)フランス的なエスプリが満ちている。現実や常識にからめとられない、「個」が発するユーモアがある。

 監視役として常に行動を共にする通訳の「キャプテン・シン」やガイド氏の言動。作者の勤務先の撮影所の同僚たちとのやり取り。国威喧伝のためだけに存在する豪奢な建造物や地下鉄、博物館。そこかしこに飾られる金日成・金正日親子の肖像画のディテール。

 これらすべてが、監視・密告国家の中で真実が押し隠される抑圧の悲劇として、そして同時に、一歩引いた視点でみた壮大なジョークとして、巧みなバランスで紹介される。

 重すぎず、軽すぎない、絶妙のカメラワークと語り口は、作者の力量はもちろんのこと、マンガという表現形式が可能にした業だろう。とにかくマンガとして面白いのだ。

 とはいえ、作者は違和感とエスプリだけで物事を切り取る描き手ではない。記述からは、当時の北朝鮮について綿密に下調べをしていたことが分かるし、入国に際してはご法度のラジオと、なんとジョージ・オーウェルの『1984』を持ち込んでいる。この『1984』を「サイエンス・フィクションだね」とガイド氏に貸すユーモラスなやり取りなどは、日本人のクリエーターではなかなか生まれえないエピソードだろう。

 ユーモラスなだけでなく、時に語り口は、悲劇にまっすぐ目を向けた真摯なものとなる。

 作品の半ばで、作者は車に同乗するガイド氏と通訳を前にこんな疑問を抱く。

「一体彼らは押しつけられるこのデタラメをすべて信じているのだろうか?」

 この種の問いは、北朝鮮を訪れた外国人の誰もが感じるが、実際に口に出されることはないという。

 外国人の監視・案内を受け持つのはエリートであり、「キャプテン・シン」もアニメの契約交渉の名目で海外出張する特権を持つ。「外の世界」の現実を実体験しており、プロパガンダでだまし切れるほど見識が低いわけではない。それでも「パリは気に入った?」と問えば、「物乞いは多いしあまり清潔とは言えませんね」と即答する。

「抑圧の度合いがあるレベルを越えると、真理がどんな姿をしていようとどうでもよくなってしまう。嘘の大きさは、体制の力の大きさに等しいからだ。そしてその分、人々は恐怖に沈み込む。押し隠された、ひそやかな恐怖の中に」

 監視の目が届かない野外で過ごした通訳やガイドたちが「ただの男たち」に戻る場面や、撮影所内ですれ違いざまに勇気あふれる「爆弾発言」をする男性、市内に身体障碍者が見当たらないことから優生学的な「排除」への疑念を抱く会話、優秀なアニメーターが「消えた」ことに沈黙する通訳の姿など、忘れがたい場面は多い。

 もっとも印象的なのは、終盤に描かれる音楽の「英才教育」を受けた女生徒たちの演奏会のシーンだ。ロボットのような笑顔と正確無比な演奏を披露する姿を目にして、その裏の抑圧に思いをいたした著者は、作中で唯一「泣きたくなるほど」という感情的な表現を自分に許している。

 中間選挙を控えるトランプにとって、北朝鮮は「ディール」の相手でしかなく、目先の外交的成果を喧伝できれば、非核化の実態や人道危機には関心などないように見える。

 だが、2500万もの人々が抑圧される悪夢のような専制国家の存在こそが悲劇であり、そのソフトランディングこそが極東地域の最大の課題なのは、言うまでもない。「非核化」はその第一歩でしかなく、「王朝」の解体は数十年というスパンの大仕事になるはずだ。

「キャプテン・シン」は今、どんな生活を送っているのだろうか。演奏会でステージに上がった少女たちは、「最大の爆弾発言」をしてみせた男性は無事だろうか。「顔」を知ってしまったあとでは、彼らの運命はもう他人事とは思えなくなってしまう。

 作者はミャンマーや深圳での滞在を題材とした多数の作品があるが、残念ながら邦訳は「平壌」しかない。ひとまず私は国際的評価が高いエルサレム滞在記の英語版を入手する予定だが、幅広い読者の利便のためにも、他作品の邦訳が待たれる。

高井浩章 1972年生まれ。経済記者・デスクとして20年超の経験があり、金融市場や国際ニュースなどお堅い分野が専門だが、実は自宅の本棚14本の約半分をマンガが占める。インプレス・ミシマ社の共同レーベル「しごとのわ」から出した経済青春小説『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』がヒット中。 noteの連載はこちら https://note.mu/hirotakai

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(2018年8月13日フォーサイトより転載)
Source: ハフィントンポスト