「#私が父親を嫌いになった理由」 知られざる家庭内の性被害を女性たちが明かす

#私が父親を嫌いになった理由」というハッシュタグ付きの投稿で、女性たちが幼い頃の経験をTwitter上で打ち明けている。

性的に不快に感じたという父親の行動が多数投稿される様相は、セクハラ告発の「#MeToo」のようなムーブメントとなり、知られざる家庭内での性被害の実態が明らかになりつつある。

「お風呂」「生理」「過剰なスキンシップ」「見た目をからかわれる」

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「(10代になってから)嫌だと言っているのに一緒に入浴された」

「生理が始まった頃に『これでお前も女やなぁ〜笑』と言われる」

「くすぐり、ヒゲじょり、布団蒸しなど、幼少期にはわりと頻繁にされてた。思い出すと足の先がゾワゾワする。吐きそう」

「私が笑っているから平気でブスっていうし、鼻がないっていうし、見た目のことは散々に言われた。笑っているから冗談だと思ってるのかもしれないけれど自分の顔は嫌いになった。どれだけほかの人が『かわいい』って言ってくれても傷が癒えない。あと胸がないとも言われた」

これらは、投稿の一例だ。

中には、強姦や暴力など、明らかな犯罪行為も含まれていた。それらをすべきではないことは議論の余地がないだろう。

一方で圧倒的に多かったのは、思春期以降などの娘が嫌がっているのに「お風呂に一緒に入ろうとする」「くすぐりなど過剰なスキンシップをする」、「生理について(不要な場面で)聞かれたりからかわれたりする」「見た目へのからかい」などだ。

父親側が「冗談のつもり」「いたずら」でした行動や会話に性的な要素を感じ、不快感を覚え、そうして「父親を嫌いに」なっていったと多くの女性たちが綴っている。

犯罪とは認められないかもしれないが、たくさんの女性たちが、こうした経験を心の奥底に秘めていたようだ。

体験談にあわせて「これまで何十年も誰にも言えなかった」「長い間ずっとモヤモヤ考えてたことを妹と共有できた。あれはやっぱりおかしかった」などと悩みを吐き出している。

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「日本の現状を浮き彫りにしてくれた」

この投稿を呼びかけたのは、Twitterユーザーの「サクマにな子」さん。幼少期に父親からの虐待を受けた経験があり、その中には性的なものもあったという。

「サクマにな子」さんは、多くの女性による投稿が「日本の現状を浮き彫りにしてくれた」と感じているという。取材に対して、以下のコメントを寄せた。

個別に「家族にも言えなかった。辛かった。言う場所をくれてありがとう」と、メッセージを頂いたり、警察に届けたのに「家族のことでしょ?」と、被害届を受理されなかったという話が、ポンポンとありました。

父親の立場の人には、子供の「ノー(否定)」を受け止めろと言いたい。「ノー」を無視されたことが時限爆弾となり、大人になった日に理解し、爆発する人がものすごく多かったんですね。

私も父親からの「性加害」を受けました。暴力や暴言は、子供でも理解できますが、「性加害」は「大人になって理解した」と思います。

娘と父親で問題が多いのは、「女性」を軽視しているから(人間として見ずに「女」として見るから)、子供の「ノー」を受け止められずに加害をやめないんだと思います。

「他人にやらないことは『家族』であろうと、やるな!」。

「『家族』からの『加害』を、透明化させるのを、いい加減、やめろ!」と言いたいです。

「サクマにな子」さんは、「加害者」「被害者」になる父娘がこれ以上増えないよう、様々な立場の人に読んで参考にしてほしいと、この問題について、対策なども含めてネット上にまとめた

「父親は子供とは非対称的な権力を持っている」

家族の問題に詳しい専門家はこのムーブメントをどう見るのか。

親子・夫婦関係、暴力、ハラスメントなどの問題に関するカウンセリングを行っている臨床心理士の信田さよ子さんは、「父親は子供とは非対称的な権力を持っていることを自覚すべき」と話す。

信田さよ子さん

ーー「お風呂」「生理」「過剰なスキンシップ」「見た目へのからかい」といった投稿が多くありました。どう見ましたか。

どれも残念ながらよく聞く事例です。例えば「くすぐり」。あれほど無力感を感じる行為はないですね。嫌がっているのに周囲も笑いますし、助けてくれない。私のところへ相談に来られた方からも、何度言っても父親にやめてもらえず、家族の前で失禁し、もっと笑われたという経験を聞いたこともあります。母親も止めてくれなかったと。

一見「楽しい家族の時間」に潜むこうした事例も、性虐待であるときちんと言うべきです。「娘を性的対象として扱わない」という一線を守るということはとても大事。隠れた性虐待が明るみに出たという意味では、良いことでしょう。

2005年に、法務省の性犯罪者処遇プログラム研究会の委員としてカナダを視察しました。カナダでは、性犯罪の体系として大きく、社会の性犯罪・家庭の性犯罪と分けて対策が行われていた。日本ではそれがない。家庭内の性犯罪が軽視されているのは、非常に残念です。

ーーどうして家庭内の性虐待が見過ごされているのでしょうか。

日本では家庭内で父親が娘や妻を所有物として支配する図式が長く続いてきました。

テレビのCMでも最近、父親が「いつか娘も嫁に行くのか。他の男にやりたくないなあ」と嘆くと、母方の祖父が「僕も君にやっただろ」と言う、といったものがありましたが、私は「いいかげんにしろ」と思いましたね。娘は父親の所有物なんでしょうか?

性暴力・性虐待やDVも「やられる側が悪い」などとみなされてきましたし、今でもその考えはそれほど変わっていません。

日本でDV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)が制定されたのは2001年、わずか17年しか経っていませんね。それ以前は「夫が妻を殴って何が悪いの?」という意識でした。女性差別についての社会的意識はまだ発展途上なんです。

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ーーこうした性虐待を受けた子は「父親を嫌いになる」だけでなく、別の影響もあるでしょうか。

家庭内の性虐待は、その子の人生に大きな影響を与える可能性があります。

まず、家庭内で性被害にあった子は、その後社会でも性被害を受けやすくなるという危険性があります。被害者側に原因があるという意味に捉えてほしくはないのですが、一度家庭内で被害にあった女性が、男性に対して過剰に防衛的だったり、逆に無防備だったりと、両極端に振れやすいのは事実です。

また、幼少期に外部の性的視線から守られて大切にされた経験は、「安心して生きるのが当たり前」という自己価値感につながります。しかし性虐待を受けた子どもはそれが持てなくなります。

何をされているのか意味がわからない経験は、子どもに不安や恐怖を与えます。性的な経験にともなう違和感は、名前も付けられずに異物のような感覚としてずっと残り続けるのです。セクシュアルアイデンティティを持つ前から性的な存在として扱われると、その後の発達が様々な点でいびつになってしまう可能性があります。

ーー父親の多くは「いたずら」「少しからかった」程度の認識であるようで、「自分が性虐待をした」などとは思っていないようです。

それが一番困りますね。女性を性的対象として扱うことは当たり前、という意識こそ「女性差別」でしょう。そんな考えを持っていないか、男性たちは考えてもらいたいですね。特に父親たちには、娘、時には息子に対して性的な言葉や視線を投げかけていないか、自分の言動をよく考慮する必要があります。男性もちゃんと勉強しないといけない。

社会におけるセクハラには、だいぶ厳しくなりつつありますよね。自分には加害意識がなくても、相手が性的嫌がらせと感じたらセクハラである。それを認識してもらうため、何がセクハラにあたるのかをきちんと教育する企業も増えています。

家庭内でもそれと同じ。父親は子供に対して、身体的・経済的な意味で非対称的な権力を持っていて、加害意識がなく、仮に「かわいがっている」と思っていても、十分に性虐待になり得ることを認識しなければならないでしょう。

そんなことに無頓着な夫の場合、傍らの妻がはっきりと「やめて」と言わなければならないでしょう。子どもは母親が見て見ぬふりをしていたことをちゃんと覚えているからです。

「何が問題なんだ」「かわいがっていただけじゃないか」「娘に嫉妬しているんじゃないか」などと激昂する父親も多いので、伝え方には工夫が必要ですが…。

今後は、育児本や自治体の父親学級などの機会をとらえて、きちんと啓発をすることも必要だと思います。力が非対称であるということは、力のある側は自分のやることはすべて善意で正しいと疑わず、それに抵抗する側、力のない側が間違っている、と判断されることを意味します。父と子、母と子はまさに非対称な関係ですね。

Source: ハフィントンポスト