トウシューズを履いて自分の身体に向き合う。大人になって始めたバレエが、私に教えてくれたこと。

舞台中央ではクラシックの静かな調べに乗せて、青白い照明の中バレリーナが軽やかに舞っている。

華やかな舞台の裏には、モニターを確認している舞台監督、大道具の準備をしているスタッフ、曲順を確かめている音響監督、次のアナウンスを待っているアナウンサー。

音楽を遠くに聞きながら、村娘の衣装に身を包み次の出番を待っている自分。

軽く柔軟、トウシューズの感触を確かめ、振りの確認。

舞台ではクライマックスを迎え、拍手が起こる。曲が変わり、軽快なクラシックが走りだす。

軽い緊張、深く深呼吸。一呼吸おいて舞台に踊りだす。

スポットライトが当たり、私は、違うわたしになる。

10年前、私はクラシックバレエを始めた。

社会人としてすでに働いていた10年前のある日、ふと1枚の折込み広告が目に入った。

新講座「大人から始めるクラシックバレエ」

「大人」からでもクラシックバレエを始められるの? と気になった。

子供の頃からしか始められないものだと思っていた。だって、大好きなバレエ漫画では、主人公は子供の頃からバレエを始めて、毎日レッスンを積み重ねて、上達していたから。

有名なバレリーナは、みな子供の頃から始めている。熊川哲也さんは少し遅く、10歳からバレエを始めてローザンヌ国際バレエ・コンクールで日本人初のゴールド・メダルを受賞した。でも、そんな人は一握りだと思う。バレエを習う人は、だいたい3〜5歳ぐらいから始めている……。

やらない理由を考えるのは簡単だ。でも、私はいつも直感で動くタイプ。「直感を大事にしなきゃ」と思った。

普段の私とは違う自分がいた。

そもそもバレエを観るのは好きだった。「大人からでも始められるのなら、やってみなきゃー!」と、近所のバレエ教室を片っ端から周ってみた。

その中でお気に入りの教室を見つけ、キラキラしたバレエショップに行って、レオタードやらバレエシューズやらを買い込み、何もかも初めての体験で緊張しながらバレエのレッスンを始めてみた。

そうしたら、想像以上に何もできないことだらけだった。まっすぐに立つことすらできなかった。体は硬くて動かない、バーレッスンでは順番を覚えられない、センターレッスンでは一人オロオロ。先生が言っているバレエ用語も分からない。

普段の仕事では、「できて当たり前」「完璧にこなして当たり前」のようなイメージが私にはついている。

それが、バレエの世界では何もできない。私は完全に、普段の自分とは違う世界の住人になった。

でも、それが楽しかった。できないことがあることが楽しかった。

バレエシューズとトウシューズの違い。

バレエを始めて約2年が過ぎた頃、先生から発表会のお誘いがあった。

発表会! なんて素敵な響き。さらに、「かおりさん、今度トウシューズ持っていらっしゃい」

え! えええ!!! ト、トウシューズ!? 私トウシューズ履けるんですか!

突然、先生からトウシューズを履く許可が下りた。

トウシューズは、バレエを習っている女性なら憧れるものの1つだ。

バレリーナが舞台上で空気のように舞っているように見えるのは、このトウシューズのおかげだ。足先で立って踊るという、クラシックバレエ特有の踊り方。

しかし、誰でも最初からこのトウシューズを履けるわけではない。

大人の場合は、しっかりと訓練して、足に必要な筋肉がつき、体の引き上げが十分にできないと、このトウシューズを履くことはできない。ちゃんと訓練しないと怪我のもとになるからだ。お教室によっては、大人から始めた生徒にはトウシューズを履かせないという先生もいる。

子供にも、「トウシューズの練習を始めるためのガイドライン」というものが存在するくらい、体の成長と関係がある。つまり、そのくらい日常生活からはかけ離れた動作なのだ。

トウシューズの起源

話はそれるが、そもそもなぜ、クラシックバレエはこのトウシューズで踊るようになったのか。ちょっと豆知識を紹介したい。意外にも、私の周りにはバレエシューズとトウシューズの違いを知らない人が多かったからだ。

それはバレエの歴史に深く関わっている。バレエの起源は、中世イタリアの舞踏会と言われて、その後フランスに渡り、太陽王ルイ14世が自ら踊ったことで発展した。

やがて職業ダンサーが登場したが、当初はヒールのある靴を履いて踊っていたという。そして、一人の天才バレリーナ、マリー・タリオーニが現れ、初めてつま先で踊って大成功を収める。

当時のバレエは、「優雅な」「天上の」などと形容されたように、現実から引き離された世界を表現するものだった。つまり、より天上に近づくために、現世での接点を少なくした結果、つま先で踊ることになったらしい。

通常のレッスンで履いているのがバレエシューズ。ぺらぺらの布とか皮とかでできているシューズ。もちろん、これでつま先で立つことはできない。

このバレエシューズで子供も大人もバーレッスン、センターレッスンと基本をしっかり行います。柔らかいので、足の裏の感覚をしっかりと掴むことができる。

そして、履くことが許されたトウシューズはこんな形。

つま先は硬くなってい。これでつま先で立てるようになるのだ。

リボンが付いているが、これは飾りではなく、足首とトウシューズを固定するための必需品。リボンを付けずに立ったら、グラグラして、捻挫しそうになった。初めてのトウシューズのレッスンの時に、リボンの結び方を習うが、浮かれ気分で可愛く結んでいたら、即座に注意された。

基本的にこれを履くのは女性のみ。男性はバレエシューズで踊る。演目によっては、意地悪系の女性キャラクターを男性が踊ることもあるので、その時は男性もトウシューズを履く。男性だけのバレエ団では、トウシューズを履いてコミカルに踊ることもある。

自分の身体に語りかけてみた

トウシューズを手にした私の最初の感想は、「木靴みたい」。

硬くて足をガチガチに固められているみたいで、動けない。普通に歩こうとしても、バランスが取れない。意を決してトウ先に乗ってみたら……立てなかった。

直径10数センチの楕円の幅に立つことの難しさは想像していなかった。幸いなことに、トウシューズで立ったときに「痛い」ということは無かった(たいていの人は、立った時に足の指がトウシューズに当たって痛いそう)。

トウシューズを履きはじめてからは、今まで以上に自分の身体に向き合うことが多くなった。レッスン中はもちろん、普段の姿勢にも気をつけるようになった。

パソコン作業が続くと、目が疲れて、肩が凝ってくる。そうすると、腕が綺麗に動かせない。肩甲骨が使えなくなってくるので、体をうまく引き上げられない。長く座りすぎていると、足がむくんできてしまう。

街中を歩く姿も、意識するようになる。身体のことを考えていたら、普段の所作が優雅になってきた。

人に見られていることを意識するだけで、意識は外に向く。

外に向かったエネルギーが自分の内なる感情を表現してくれる。

バレリーナが、片足のつま先でバランスをとっているシーンがある。客席からは、止まっているように見える動作だ。しかし、止まって見えるためには常に動き続けてなければならない。

上へ上へ、伸び上がっていかないと、そのまま落ちてしまうのだ。

普段の私と、バレエをする私

バレエを始めてから、色々な発見がある。今だにできないことだらけだが、普段の自分と違う時間は、ストレス発散にもなっている。

バーレッスンの時は、体が動くのに任せているので、頭で何も考えていない時もある。仕事のことは忘れている。ちょうどいい瞑想状態になっている、と思う。

普段の私と、バレエをしている私が、どちらもうまく共存できている。もしかしたら、それが10年続けられている理由なのかもしれない。どちらも必要だから。

現在、今度の発表会に向けて練習の真っ最中だ。本番まであと1カ月を切った。

コツがつかめなかった上に、体調を崩して練習に参加できない時期もあり、先日まで全くできなくて諦めモードに入っていた。しかし、最近は明るい兆しが見えてきた。

もしかしたら、できるかもしれない。

今日できなかったとしても、明日できるかもしれない。明日がやがて今日になっていたりする。できないことが多ければ、できることも多くなる。

「はい、もう一回」

息急き切ってヘトヘトの私に、先生はニッコリと微笑みながら告げる。

トウシューズを履くと、自然と背筋が伸びて、気持ちが引き締まる。私は本番に強いタイプ。ギリギリまで挑戦してみる気力は湧いてきた。

また明日も頑張ろう。

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Source: ハフィントンポスト