連載を始めるにあたって–井尻秀憲

 21世紀に入って、欧米中心の見方や思考は変容を迫られている。日本は近代に入り、アジアからの離脱を急速に始めて欧米的な近代国家となった。いわゆる「脱亜入欧」だ。逆に中国は近代化に失敗した。

 私が日中の文明の比較・衝突に目を向けるのは、日本文明が基本的に中国文明と異なる側面を有しているからだ。また、日本が19世紀に近代化を遂げながらも、西欧文明とは異なる独自の日本文明を作り上げたからでもある。日本は近代化されたが、西欧にはならなかったのだ。

 シンガポールの駐国連・米国大使を歴任したトミー・コーは1993年に、「文化的ルネサンスがアジア全域を席巻している」と表現した。アジア人は、「もはや西欧的、アメリカ的なものは必ずしも最良のものではない」と見なすようになった。

「このルネサンス、つまり文化の復興が顕著に現れているのが、アジア諸国それぞれの文化的アイデンティティを固有のものとして強調し、同時に西欧文化にたいする概念としてのアジア共通の文化を強く意識する動きである」(サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』集英社1998年)。

 このことは、東アジアを代表する中国・日本と西欧文化との関係が変化している点からも読み取れる。「さらに、まずアジアと世界で、次いでアジア諸国のあいだで、経済成長率や貿易高が飛躍的な拡大を遂げた。アジア経済のこうした成長は、ヨーロッパやアフリカ諸国の緩やかな発展、そして世界の他の地域のほとんどに蔓延している停滞とみごとなまでの対照を示している」(『文明の衝突』)。

日中文明の真髄を如何に理解すべきか

 ここで重要なのは、文明史の代表的な論客が繰り返し強調してきた日本文明の独自性とその文明的アイデンティティが実存しており、それは中国文明などとは全く異質のものを形成しているという見方だ。

 日本人の宗教観の現実をありのままに見ると、日本人はクリスチャンが少なく、イスラム教にはさほど手をつけないし、神社とお寺を横に並べる「神仏混合」は日本人の特殊性に他ならない。また、神社には「天」という発想はあっても、キリスト教や仏教での「天国」という発想はない。

 私とハンチントンとの見解が異なる点は、将来の中国に関する見方のなかにある。ハンチントンは、将来の中国を安定的で、経済成長も続けるだろうと見ている。私は逆に中国の将来を経済的に悲観し、毛沢東に近づこうとする習近平の政治手法は、中長期的に大きな課題を抱えることになると考えている。

 日本文明の独自性を主張するからといって、私はそれが「独自性」だけで終わってしまうと考えてはいない。かつて、多くの論客から、「アジアに共通の普遍的な価値があるのか」と問われた時、以前は「西欧にはあっても、アジアにはない」と答えていた。

 しかしながら、最近私は、日本文明の「雑居性が独自なもの」であればあるほど、「アジア」においては、「日本文明の独自性」が普遍化され、長期的には「アジア諸国の多元的文化の共生と共通性」の創出に役立つのではないかと考え始めている。

 同時に、前記のような議論を先取りするかのように、明治の文明開化論者として知られる福澤諭吉は『文明論之概略』のなかで、「神仏混合」や「権威と権力の分離」などを書き残していた。

 福澤は「中国には思想がない」し、孔子・孟子が「一生狭い範囲のなかに生き、一歩を踏み出すことができなかったので、その説も自然と体裁を失って、半ば政治談義を交えるだけになって、『フィロソフィー』としての品格を落とすことになった」とも述べていた(福澤諭吉『文明論之概略』ちくま文庫122頁 2013年)。

明治維新150年を超えて

 明治維新150年の今年、第4次産業革命に突入した21世紀の世界精神と明治維新以前から流入してきた諸外国の思想を、日本はどのように受容し、日本人の心を作り上げてきたのか。

 第1の開国は明治維新だが、それは薩摩、長州を中心とする「官軍」によって敢行された。第2の開国は戦後だが、戦前、戦中の昭和維新は、山形・青森などを中心とするかつての「賊軍」によって敢行された。この日本の地方での役割分担も日本の独自性を示している(室町幕府の崩壊を第1の開国とする見方もある)。

 そしてまた、第3の開国というべき今日の日本はどのような精神構造や日本人の心でもって、東アジア多文明のなかでの中国文明と共生・対決しようとしているのか。

 この連載では、中国といかに向き合うべきかを念頭において、日米知識人の対中認識、日本ファシズムの失敗、日中文明の比較、福澤諭吉の文明論の真髄と西郷隆盛の大変革の意義を解明したい。

 そして、日本文明や「日本人の心の核心」が多文明の中で生きる人々の心と触れ合うことで、今度は「日本やアジアから新たな世界史を描く時代」を迎えていることを示すのが、この連載の狙いでもある。

 ただ、私たちは、福澤が理解しえた時代から150年後のはるかに複雑でグローバルな「今」を生きている。西洋近代を踏まえた上で、アジアの側から過去と未来を対話させる新たな視点が求められているのだ。日本の進歩思想に課される責務も大きい。

「超国家主義の論理と心理」で論壇の寵児になった丸山眞男の言う日本精神の「古層」は、古来よりの「神道」が「漢意(からごころ)、仏意(ほとけごころ)、洋意(えびすごころ)に由来する永遠像」に触発されるとき、それとの摩擦を通じて、変動の力学を発育させる土壌となった。

 歴史的因果関係をたどれば、ワインを醸成してブランデーにするように。人材で言えば第2の西郷隆盛を求めるように。NHKの大河ドラマに限らず、福澤や西郷は私たちが忘れることができない魅力を有しているから、繰り返し語られる対象となってきた。

 日本人の歴史認識を特徴づける「変化の持続」や「進歩の精神」は、現代日本を世界の最先進国に位置づける要因なのかもしれない。この現実を世界史における、「日本精神の発展の契機」と捉えるとき、「変化の持続」や「進歩の精神」は、物事の自然の流れに即して動いていく。 この変化の過程は誰も止めることができないし、アジア諸国の思想形成にも自然と影響を与えるだろう(丸山眞男『忠誠と反逆』ちくま学芸文庫380~423頁 1998年)。その影響力を日本の新戦略とすべきか否かも、今こそ問われている。

井尻秀憲 1951年、福岡県生まれ。東京外国語大学名誉教授。同大学中国語科卒業。同大学大学院を経て、カリフォルニア大学バークレー校政治学部大学院博士課程修了。政治学博士(Ph.D.)。神戸市外国語大学助教授、外務省在北京大使館専門調査員、筑波大学助教授、東京外国語大学教授、同大学大学院教授などを歴任。著書に『アメリカ人の中国観』 (文春新書)、『李登輝の実践哲学―五十時間の対話』(ミネルヴァ書房)、『迫りくる米中衝突の真実』(PHP研究所)、『中国・韓国・北朝鮮でこれから起こる本当のこと』 (扶桑社BOOKS)、『アジアの命運を握る日本』(海竜社)などがある。

(2018年2月23日フォーサイトより転載)関連記事


Source: ハフィントンポスト