大英博物館、ロゼッタ・ストーンを返してよ!

大英博物館

大英博物館のお宝、ロゼッタ・ストーン。 その周りをいつも世界中からの見物客が囲んでいる。なんの変哲もない石がこんなに注目を集める理由は、古代エジプトの象形文字を解読するキッカケとなり、それが読めたおかげで、暗黒の巨大文明に光があたったからだ。

最近、このロセッタストーンを、われわれのものだから、返してほしいとエジプト側から声があがっている。というか、実は、前々から要求があったのだが、ますます声高に叫ばれるようになったという方が正しい。「そりゃ当たり前の要求だからさっさと返してあげればいいじゃないか。文化の大泥棒のくせに、今だに帝国の力を笠に着て、なんと貪欲な!」とあなたは思うだろうか。

ともかく、まずは、なぜロゼッタ・ストーンがここに運び込まれたのか見てみよう。時はナポレオン時代、ナポレオン皇帝は周辺国を征服し、そこにあるお宝を戦利品としてフランスに持ち帰った。落ち着く先は現在のルーブル美術館だ。ロゼッタ・ストーンも最初はフランス軍が偶然発見したものだが、1801年のナイルの海戦でイギリス海軍に負け、逃げ去った後、エジプト政府の許可を得てイギリス軍が手にいれ、最終的に大英博物館にもたらされたのである。

ロゼッタ・ストーン Wikimedia より

「それにしたって文化略奪に違いないでしょう」と、あなたは言うかもしれない。確かに大英帝国の負の側面は拭えない。だが、当時のエジプトの価値観は西洋のそれとも現在のそれとも違っていた事にも目を向けよう。イスラム文化の彼らは古代の遺跡/遺品なぞ興味がなかった。西洋人たちが躍起になってただの石を探し、苦労して持ち帰ろうとしているのが理解できなかった。だから、クレームもなかったし、お金を払ってくれるというなら、喜んで二束三文で渡した。古代文明に対する関心は18〜19世紀ヨーロッパの知識層の中で開花したのである。(文化の流出が明治日本でも起きた事を思い出してほしい)

現在は事情が違う。世界中で自文化や歴史に対する関心・保護意識が高まった。ナショナリズムやアイデンティティーの育成とも結びつく。観光資源にもなる。流出した時には関心などなかったけれど、やがて意識が萌芽し、 重要性を認め、欧米のミュージアムに獲られた自国の文化遺産を返還せよと求めはじめたのである。

ロゼッタ・ストーンの場合、 その声が昨今さらに高まった理由がある。カイロのエジプト博物館の老朽化に伴い、新ミュージアムを2020年にオープンさせる準備がすすめられている。その開館の際、ロゼッタ・ストーンがあれば、なんと輝かしいファンファーレになることだろう。よく理解できる。

ところが、返還の声はあがっているものの、実は、 今のところ、 正式な返還要望がきていないため、大英博物館は姿勢を示さないでいる。

ロゼッタ・ストーンに限った問題ではない。同様の返還要求が欧米のミュージアムを相手に頻繁に起こっている。再び、大英博物館で例を探せば「パルテノン神殿の彫刻群」もその一つだ。ギリシャは1830年にオスマン・トルコから独立し国民国家として誕生して以来、ずっとその返還を求めてきた。だが大英博物館は一貫してそれを受け入れていない。理由としては、19世紀始め、ギリシャを征服していたトルコ政府から正式に買い取ったものである事、当時、神殿は荒れ放題だったが、このまま放置されていたら、もっと破損が進んでいたところ、結果的にこれを救済した事、これは人類の遺産でもあり、世界中の人々に無料で公開している事などを挙げている。(展示場にその主旨を表明したリーフレットを置いている)

パルテノン神殿 彫刻群 Wikimedia より

文化遺産の返還は実にセンシティブな問題だ。表では、オーナーシップや国民とのつながりなどの全うな基本権利がかざされつつ、その裏では、政治的な思惑が見え隠れする。例えばエジプトは、近年の暴動で落ち込んだ観光事業に活を入れたいに違いない。エジプトにとって観光が最重要資源ならなおさらだ。大英博物館側としたらその重要な宝をひとつでも返還してしまったら、堰を切ったように、次々と要求に応えていくプレッシャーを受け、結果的に世界的なステータスを失いかねない。

世間的に文化的略奪者というレッテルを貼られる大英博物館だが、そうとはいえないものがたくさんあるし、ここにあるからよい保存状態が保たれてきた事も事実だ。文化遺産はそれが生まれた場の中にあるべきだという意見ももっともである。故郷の人々の心とも深く結びついている。その一方で、大英博物館にあるからこそ、他のさまざまな文化と比較したり、世界の大きな文脈の中で理解することも可能になる。なんといっても安全な場所、優れた保存技術や研究の環境にある方が、人類遺産の永久保存という点ではよいのだろう。

返還されるべきか、否か。おそらく絶対的な答えはない。ひとつ言えるのは、ある遺産がミュージアムにたどり着いた個別の歴史背景を、まずはひとつひとつ検証するべきだという事。そして、その経緯に則って、それが将来的にあるべき最善の環境と場をローカルおよびグローバルの両視点から考えていくべきではないだろうか。

この問題は欧米のミュージアムに限った事ではない。実は、日本のミュージアムも同様の問題を孕んでいる。アイヌや旧琉球国、旧植民地である韓国や台湾の文化の表象にもついても、社会的レベルで充分に議論がなされていない事を最後に付け加えておきたい。

Source: ハフィントンポスト