テロの背景にある構造的暴力に注目を

日本では、テロリズムと言えば、イスラム国や中東などの言葉と無意識に関連しがちだ。メディアは、テロリストの所属組織や被害者の人数などを詳しく取り上げるが、テロ行為の犯人の多くが、現地の人だということに注目することはあまりない。つまり、その国に生まれ育った人たちが、なぜテロ行為に走ったかを探る報道が少ない。目に見える直接的暴力だけを分析し、テロの原因となる構造的暴力をあまり視野に入れていない。

構造的暴力とは、平和学者のヨハン・ガルトゥングによって提唱された概念だ。暴力には、戦争やテロなどに代表される直接的暴力と、経済的搾取、貧困、宗教的迫害などの間接的暴力がある。ガルトゥングは、多くの国は戦争に巻き込まれていないが、差別や格差などが社会に浸透しているため、平和に暮らしているとはいい難いと論じた。すなわち、一見すると、平和に見えるが、実際には直接的暴力がないだけの消極的平和である。

テロ組織はテロリストの育成に際し、過激思想の形成を最も重視する。「異教徒は生きる権利がない」との意識だ。宗教の過激的な解釈によって、異文化また異教徒への軽蔑、嫌悪感などが助長され、無意識に敵視してしまう。そうした嫌悪感に満ちた教育こそが、構造的暴力と言える。異文化の友達、同級生、同僚さえいなくなれば、神様が喜んでくれる。異教徒を殺せば、自分が敬虔な信者になり、天国へ行ける――。過激な宗教指導者の話を聞いて育ち、その意識がテロの形で表に出る。テロという直接的暴力は、構造的暴力の一部と言っても過言ではない。

欧州で発生しているテロ事件やエジプトのコプト正教会の爆破テロ事件など、私達が目にしているテロの原因は、テロリストが受けてきた教育にある。テロリストを捕まえるだけでは、問題を解決できないのは自明だろう。どんな教育を受けてきたのか。異文化の人をどのように見ているか。テロリストの意識構造の根本まで掘り下げ、多様性を尊重しない不当な言動をなくす取り組みが必要だ。

Source: ハフィントンポスト